荀彧、程昱は曹操に浩作を殺すよう進言した。郭嘉「浩作は英雄です。断じて殺してはなりません。」関中から張済軍が攻めてくる。張済は戦死、甥の張繍が変わりに指揮をとった。曹操15万は出撃、張繍は降伏、曹操は本陣の幕舎で戦死した張済の妻、鄒氏に連日相手をさせる、鄒氏は絶世の美人だった。曹操軍最強の部将、典韋と親衛隊200に守らせる、張繍はある夜、全軍で曹操本陣幕舎を取り囲む、曹操襲撃、典韋は戦死、甥、曹安民戦死、曹操の長男、曹昂戦死、曹操は一人逃げる。曹操は自軍と合流。曹操の将軍、夏侯惇軍が侵略した村々で略奪、曹操の部将、于禁軍が夏侯惇軍を攻撃、張繍軍が来る、于禁軍は先陣きって攻撃、曹操軍総攻撃、張繍軍壊滅。袁術20万は呂布を攻撃、呂布の応戦、袁術の将軍二人が寝返る、浩作が曹操の兵を率い援軍に出る、袁術敗戦。曹操17万は呂布、孫策、浩作と連合して袁術を攻撃、袁術は拠点、寿春城を捨て逃亡、曹操軍は兵糧が不足、兵士らの怒りは曹操へ向く、曹操は兵糧責任者、王こうの首をはねる「兵糧責任者、王こうが兵糧を横領した。」兵士の怒りは収まる。曹操「寿春城を三日以内に落とさねば全員死刑。」城壁からは袁術軍が猛攻撃、怖気づく将校二人を曹操は切り捨て、自ら矢、投石の中、土を運ぶ、やがて曹操軍は城壁を越え開門しなだれ込む、曹操軍勝利。李かく、郭し、が殺され首が曹操の元に届けられた。再び張繍が曹操を攻撃、曹操は張繍の城を包囲、夜襲をかける、しかし張繍軍は民になりすましていた。張繍軍は曹操軍を総攻撃、曹操敗退、曹操を追撃、曹操は夜、伏兵をしく、張繍敗北、さらに張繍は曹操を追撃、また張繍敗北、また追撃、今度は曹操が敗北。その頃、浩作は曹操の兵を率い小はいにいた。呂布は小はいを攻撃、曹操5万は呂布を攻撃、呂布の将軍、曹性の矢が夏侯惇の左目に命中、夏侯惇は矢を目の玉ごと引き抜き飲み込む、曹性を殺す、しかし曹操軍は敗退、小はいを出た浩作が指揮する曹操軍を呂布は包囲、浩作側は敗退、浩作は今は本意を隠し、耐え曹操の将軍としてできうることをするに徹した。呂布は下ひに兵糧、財、家族を移す、曹操と内通している陳登の策略にはまり、夜の闇の中、呂布は味方と同士討ちをする、呂布は徐州城に戻るが内通した曹操側が閉門し城壁から矢を呂布に浴びせる、呂布は小はいへ行く、しかしそこも曹操軍が占拠、呂布は下ひに向かった。曹操は下ひを攻撃、陳宮は呂布に攻撃を進言、呂布は聞かず、曹操は呂布に降伏をすすめる、陳宮は曹操に矢を放つ、曹操をかすめる、陳宮は、呂布は城を出て陳宮は城を守り曹操軍を挟み撃ちにしよう、10日もすれば曹操軍は兵糧が底をつくと進言、しかし呂布の妻と貂蝉が反対、呂布は城を出ず、曹操軍は二つの川の堤防を破壊、下ひ城は水浸しになる、呂布の将軍達はついに呂布を見限る、佼成は赤兎馬を盗み曹操に献上、宋憲、魏続に投降の意思ありと告げる、曹操は数十本の矢文を打ち込む、「呂布を生け捕りにした者に恩賞を与える。」戦闘中に呂布は疲れ、ふと眠りについてしまう、宋憲、魏続は方天画戟を奪い取り、呂布を縛り上げる、曹操軍がなだれ込む、陳宮は降伏を拒み、自ら早く処刑するよう望んだ、曹操は泣いた。陳宮は処刑された。呂布は縛り首になる、張遼らは曹操に帰順、浩作は散々呂布に振り回された。終わったのである。「徐州は曹操にくれてやろう。元々、俺が勝ち取ったものではない。」浩作は許昌に行った。浩作は会いたい人が何人かいた。戦死した張済の妻、鄒氏、貂蝉、北海の太守、孔融、献帝、郭嘉である。献帝、劉協に浩作は会った。献帝は子供の頃から英雄、浩作の話を朱儁らから聞いていた。「この人が英雄、浩作かぁ。俺は浩作が挙兵したら浩作軍に入る。共に戦い共に英雄の道をゆく。」献帝はニタニタした。献帝は浩作と叔父、甥の儀式を執り行った。この瞬間、浩作皇叔が誕生した。そして左将軍、宜城亭候とした。毎日、浩作を呼んで話した。孔融は前に共に戦った仲である。孔融は、友人、ねい衡を浩作に紹介した、変人で度胸すわり才はすさまじい。浩作はすぐに打ち解けた。曹操軍の軍師、郭嘉にも浩作は毎日会いに行った。浩作は鄒氏に会いにいった。鄒氏の従者「鄒氏様、左将軍、宜城亭候、浩作皇叔がお見えです。」鄒氏は信じれなかった。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに浩作を出迎えた。すぐに二人は仲良くなり毎日会うようになった。浩作は貂蝉を訪ねた。貂蝉の従者「貂蝉様、左将軍、宜城亭候、浩作皇叔がお見えです。」貂蝉は耳を疑った。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに浩作を出迎えた。浩作と貂蝉はすぐに仲良くなった。浩作と貂蝉も毎日会うようになった。地方では、西涼の太守、馬騰は息子、馬超に「俺が死んだら、浩作を頼れ。」北平の太守、公孫瓚「最期となったら浩作を頼ろう。」荊州、刺史、劉表「わしはもう年だ。養生したい。いずれ曹操が攻めてくるであろう。荊州の民を守れるのは誰か、英雄、浩作しかおるまい。浩作に荊州を託そう。」
曹操は議郎、趙彦を処刑、献帝と伏皇后は「俺たち夫婦もどんな殺され方をするんだろうな。」献帝は曹操暗殺を企てた。極秘に人を集めた。伏皇后、伏皇后の父、伏完、董承、董承の妹、董貴妃、王子服、呉子蘭、ちゅう輯、呉碩、曹操の医師、吉太、馬騰、である。董承は夜中に極秘に浩作の屋敷を訪ねた。そしてこのことを打ち明けた。浩作「加わるが、私は反対だ。曹操はとてつもなく、しぶとい強運の男、貴公ら文官では倒せん。必ず、事が漏れ、最悪の事態、一族皆殺しに合うであろう。必ずやめておくのだぞ。密会などしてはならんぞ。面々が、ばれる。私が挙兵し曹操を倒すまで我慢して待ってくれ。今の内に家族を逃がせ。従者も屋敷から出せ。必ず事は漏れるであろう。今の内に逃げろ。荊州、刺史、劉表を頼れ。」董承を帰した。浩作は思った。「多分最悪の結果になるだろう。せめて献帝、伏皇后、董貴妃だけでも救わねば。」ある日、浩作の屋敷に曹操軍の将軍、許ちょが騎兵、十数人を率い、来た。「曹操様が浩作殿をお呼びだ。」「どのような用件ですか?」許ちょ「知らん。ただ呼んで来い、とおっしゃっている。」曹操の屋敷に向かい、梅林に通された。真ん中に屋根と机と椅子が二つの場所があった。極上の酒が用意されていた。どしゃぶりの夕立と雷の中、二人は存分に飲んだ。曹操「浩作、当世の英雄とは誰であろうか?」浩作「曹操様ただお一人かな。」曹操「浩作と俺だけだ。」袁紹は公孫瓚を包囲、公孫瓚は敗北、浩作を頼ろうとしたが浩作は、今、流浪の身、劉表を頼った。袁術は、人望無きゆえ勢力衰退、伝国の玉璽を持って義理の兄、袁紹を頼ろうとした。浩作は時が来た!と思った。浩作は曹操に面会し「袁術は袁紹の元へ向かう途中、必ず徐州を通るでしょう。私は曹操様から兵を借り袁術を討ちます。」曹操は浩作に兵5万を貸した。浩作出陣、献帝は泣いた。董承は追いかけてきた。浩作「絶対に事をおこしては、いけませんよ。」くれぐれも言い聞かせた。曹操軍の将軍、朱霊、路昭、曹操軍5万が続いた。許ちょが曹操の命令で500の騎兵を率い、浩作を連れ戻しにくる、張飛、関羽、趙雲、太史慈が許ちょを囲む、浩作「帰還する理由がない。私はこのままゆく。」袁術の先方、紀霊を張飛が数合で討つ、袁術本陣は浩作部隊、張飛、関羽、趙雲、太史慈部隊、朱霊、路昭部隊と3方から攻めた。あげく袁術の部下、陳蘭、雷薄が袁術の兵糧を奪った。袁術軍は壊滅、江亭に逃げたが部下はわずか千人程。真夏、兵糧を欠き、餓死者が出る程。袁術「蜂蜜水が欲しい。」息絶えた。浩作は曹操の兵を借りたとはいえ諸侯を一人倒したのである。伝国の玉璽は曹操の元に渡った。朱霊、路昭も許昌に帰還させた。徐州の刺史は曹操軍の将軍、車冑、夜中に徐州城、城門下で浩作は叫んだ。「曹操の将軍、張遼だ、門を速やかに開けてくれ。」車冑は信じず、騎兵千を率い出陣、関羽が数合で討つ、浩作は袁紹に援軍を要請した。袁紹軍の6人の軍師は攻める、守る、で意見が真向割れた。守り、二人、攻め4人、攻撃が決定した。30万進軍、曹操は20万を率い対峙、5万を浩作軍へ向けた。将軍は劉岱と王忠、王忠は関羽に向かう、関羽に生け捕りにされる、張飛は元、えん州の太守劉岱の陣を3手にわけ襲撃、中央は火攻め兵の30人、残りは二手に分け後ろに回り込む、劉岱は夜襲に気づき兵をしのばせる、張飛部隊30人が乱入、劉岱軍は一斉に襲いかかる、それを張飛ら2部隊が襲撃、劉岱を生け捕る、劉岱と王忠を逃がす。浩作は張飛を連れ小はいへ、徐州城は趙雲、太史慈、下ひには、関羽、浩作の母、甘夫人、麋竺の妹、鄒氏、貂蝉、麋竺、孫乾、浩作の幽州たく県からの付き合い、簡雍、ねい衡を置いた。ねい衡は才人であるが曹操に殺されそうになり浩作を頼っていた。許昌では董承らの密談を従者が曹操に密告、吉太が呼ばれる、薬に毒を入れる、曹操は見抜いている、「飲んでみよ。」吉太は捕まり拷問を受け自決した。董承は捕まり連判状も見つかり、仲間の面々もさらされた。献帝、伏皇后、伏皇后の父、伏完、董承、董承の妹、董貴妃、王子服、呉子蘭、ちゅう輯、呉碩、曹操の医師、吉太、連判状の一族皆殺しが始まった。董承の妹、董貴妃は従者の一番貧しい衣服にすぐ着替え、顔を洗い化粧を落とし汚し、平凡な馬に乗り適当に荷を馬に乗せ、その辺の民のようみせ馬をすぐ出し、許昌を何とか抜け出し浩作の元、小はいへ向かった。浩作は全てを聞き、下ひに行かせた。曹操は20万を動員、5手にわけ浩作を襲撃。浩作「曹操から借りた兵5万で、曹操軍20万を討つことはできん。ここに解散する。関羽は曹操の元に残りみなと徐州の民を頼んだぞ。」浩作はただ一騎袁紹を頼った。関所の番人はすぐに青洲刺史袁紹の長男袁譚に知らせた。浩作の大ファンだった袁譚はいそいで浩作を迎えにきた。宿舎で休ませた。青洲の兵を浩作につけた。やがて袁紹本人が出迎えた。関羽は出撃、曹操軍20万に包囲されてしまった。張遼は関羽を説得した。「ここで戦死すれば浩作には会えんぞ、浩作から託された人々、徐州の民も守れん。降伏せよ。」「ならば約束してくれ。皆と、民を傷つけないこと、浩作の居場所がわかれば、すぐに曹操様の将軍を辞職して浩作の元へ皆で向かう。」こうして関羽は曹操の元に行った。献帝は関羽を偏将軍にした。美髭公と呼んだ。曹操は関羽に金銀をしょっちゅう送った。美女10人も送った。袁紹軍は曹操討伐のため進軍した。曹操は15万を率いて出陣、先陣をきった。宋憲が顔良に戦いを挑む、2合で討たれる、魏続が出る、1合で討たれる、徐晃が20合で撤退。程昱「関羽に顔良を殺させましょう。そうすれば袁紹は浩作を殺します。行き場を失った関羽は曹操様に仕えるでしょう。」関羽が呼ばれる。関羽はすぐに許昌から来る。関羽は10万の敵陣にただ一騎、顔良めがけて突き進む。敵兵は皆よける。10万の軍の中に一本の道ができる。関羽は顔良に1合で討たれる。関羽は顔良の首を持ち一気に帰陣する。行き同様、敵兵は皆、動けない。曹操軍は一気に総攻撃。関羽は漢寿亭侯となった。袁紹は浩作を殺そうとした。浩作「関羽に似た者など世の中どこにでもいるでしょう。」と言ってかわした。「いざとなったら袁紹を斬って去ろう。この者、大物ぶってるけど中身は小者だ。何が天下の顔良、文醜だ、弟に秒殺されてるじゃないか。曹操にすら絶対に勝てない。小者過ぎる。」10万を率いて文醜が出る、曹操はわざと兵糧を前方部隊に運ばせる、敵は兵糧部隊を襲う、曹操軍はわざと馬、馬車、武器を捨てて逃げる、文醜軍は混乱、そこへ一気に丘の上から曹操軍が文醜軍を急襲、張遼と徐晃が出る、しかし文醜にはかなわない、そこへただ一騎、文醜に向かってゆく、数合で文醜は逃げる、後ろから縦に青龍偃月刀を一振り、文醜は左右に分かれた。浩作は今度ははっきり見た。関羽だ。関羽が文醜を切り殺すところまで見た。浩作は袁紹に言った。「これは曹操が袁紹様に私を殺させる策です。私が曹操軍の兵士になりすまし、今すぐ、関羽の元へ行き連れてきます。弟ですから必ず従います。関羽を文醜、顔良将軍の代わりとすれば曹操軍に勝てます。さらに荊州、刺史、劉表に援軍を要請します。必ず勝てます。」そう言って関羽に向かってただ一騎、全力で馬を飛ばした。袁紹の元を去ったのである。関羽は浩作が袁紹の元にいると知り袁紹の元へ向かう、「俺が顔良、文醜を斬ったから兄上も袁紹のところにはおれまい、こちらに向かっているだろう。途中で落ち合おう。」関羽は曹操、張遼、徐晃にあいさつに行くが何日経っても会えない、きりが無いので、曹操からもらった金銀、美女10人、従者、屋敷、すべて返し、手紙を残し、浩作の母、甘夫人、麋竺の妹、鄒氏、貂蝉、董貴妃、麋竺、孫乾、簡雍、ねい衡を連れ、北門から出た。門番達は何もできなかった。曹操は別れのあいさつをしたくなった。張遼を先に一騎行かせ自分もすぐ後を追った。関羽は曹操に「また会うこともあるでしょう。」関羽は去った。許ちょは関羽を殺そうとした。関羽一行がゆく。廖化の部下が女性たちを襲おうとした。廖化は部下を殺した。廖化は一人、関羽の部下になることを求めた。女性たちを守った功績で認められた。関羽は関所の孔秀を1合で殺す。次の関所で孟坦、韓福を斬る、次の関所、卞喜は鎮国寺へ関羽を案内する、そこで殺す計画だった、高僧、普浄は関羽に「兵が潜んでいます。」と伝える、関羽は大暴れし卞喜らを殺す、普浄は関羽の共をすることになる、次の関所、王植は胡班に関羽を殺すよう命じる、胡班は関羽をのぞき見る、まるで天神のようであった。胡班は関羽を逃がす、しかし王植が関羽に斬りかかり殺される、胡班は関羽についてゆく、黄河の渡し場で秦きを斬る、周倉、裴元紹を仲間にする、張飛は古城という山城に住んでいた。関羽が張飛を見つけ、飛びつこうとすると、張飛は関羽を殺そうとする、「この裏切り者め、曹操につきやがって。」「あれは皆を守るため仕方なかったのだ。」「ならば後ろの曹操軍は何だ?」振り向くと蔡陽であった。許ちょ、夏侯惇らと同様、関羽を殺したい派の将軍である、関羽は蔡陽を殺す、関羽は関平を仲間にする、趙雲と再会、故郷へ帰っていた太史慈も母を連れ合流、味方、劉辟、きょう都に汝南に呼ばれ汝南に移動、浩作も合流、ここに、ついに皆は再会した。浩作は董貴妃を見て「良かった、大丈夫か?」董貴妃は赤くなった。董貴妃は浩作に恋をした。