小説 こうさく三国志 第5回

太史慈「浩作殿は仁義のほまれ高く、人が危ういのを救う、と聞きまして援軍の頼みに来ました。」「孔融殿は私を知っていたのか。」浩作は大至急、平原県の精鋭、3000を率い北海城に急行した。敵将、管亥が討って出る、関羽が討って出る、数十合、管亥を斬り落とす。張飛太史慈も飛び出した。敵陣の中を3人は縦横に斬りまくる。浩作は全軍に総攻撃させた。城壁から見ていた孔融らも闘志がこみ上げ、城内の全軍も総攻撃に出る。敵数万は混乱状態になる。敵軍は壊滅した。浩作は額に太と墨で書き、白衣の胸と背中に太と書いて着、土下座して太史慈に「太史慈殿、仲間になってください!」と懇願した。太史慈は揚州の刺史、劉繇から招きの手紙をもらっていた。しかし目の前の馬鹿を見捨てる訳にはゆかず、笑って承諾した。浩作は公孫瓚に会いに行った。浩作「趙雲をもらっていくぜ。」公孫瓚は武器、馬、兵糧を大量に援助して送り出した。徐州城を曹操軍は包囲していた。北海の太守、孔融軍も到着、青洲の田楷軍も到着、曹操軍は動けなくなった。浩作軍は曹操本陣と思われる辺りに突っ込んだ。敵兵が波のように襲いかかる。敵将于禁がののしると張飛が飛び出し于禁と数合打ちあった。浩作は全軍を総攻撃させた。于禁は敗走、張飛は追撃、浩作軍は一気に曹操軍の包囲を崩し、城門まで来た。陶謙軍は、いそいで城門を開け、浩作軍を入城させた。陶謙は浩作の人格、発言が只者ではないと判断、麋竺に徐州長官印を持ってこさせ、浩作に渡そうとした。陶謙「私は年だ。私の代わりに徐州の民を守ってやってくれ。」「これは受け取れません。陶謙殿を補佐し、徐州の民のため戦います。」浩作は曹操に撤退するよう書簡を書いた。曹操は「ザコがつけあがりやがって。」使者の命、返事をどうするか考えていた。視点は呂布に移る。100騎ほど連れ長安を逃げ出した。袁術袁紹張楊にはじかれ張邈の元に来た。陳宮の策により張邈は呂布曹操軍大半が出兵していて空のえん州、濮陽を占拠させた。曹操軍は急遽撤退した。陶謙「私は年で病気がちだ。民を守ってやることもできない。養生したい。浩作殿に徐州刺史を辞退されたら死にきれない。徐州は富み、人口は数百万。」それでも浩作は辞退した。「ならば、この近くの小はいという小城がある。そこに駐屯して徐州を守ってくれ。」浩作は小はい城の民を全力で大切にした。曹操は戻ると呂布軍5万と真向対陣、呂布軍に圧倒され一時撤退、呂布軍の西の陣に夜襲をかける、陳宮の策で陣に曹操軍を誘い込み四方から呂布軍が攻める、曹操は殺されそうになる、どしゃぶりの雨が降り、両軍撤退、陳宮曹操に「濮陽城は空」と偽に情報をつかませる、曹操は濮陽城を攻める、呂布軍に四方から攻められる。まさに偶然呂布曹操の兜を叩いて言った。「おい、曹操はどこだ。」「黄色の馬に乗って向こうに行くのが曹操様です。」呂布は行ってしまった。焼けた梁が曹操に落ちてくる、腕は焼けただれ、髪、髭は焼けた。双方、兵糧尽き撤退。浩作は小はい城を本拠地とした。たく県、安喜県、下密県、高唐県、平原県、浩作ゆかりの県から浩作を慕って続々と志願兵が集まった。武器、馬、兵糧は陶謙が喜んで援助してくれた。浩作は弓、馬術の特訓をした。剣術は関羽張飛趙雲太史慈、相手に特訓した。そのうちに彼らの動きが止まって見える様になってきた。浩作も超人化していた。小はいの農業を発展させ、街を発展させ食料は備蓄した。集まった兵士達は元々強かったのを関羽張飛趙雲太史慈が徹底的に鍛えた。浩作軍はめちゃくちゃ強くなった。浩作は全兵士に向かって、とても大事な絶対命令を与えた。「戦争が敗けそうになったら逃げてくれ。命を捨てまで戦わなくていい。逃げてくれ。何がなんでも生き延びてくれ。戦死してはならない。全軍解散だ。俺がまだ領土を持っていたら、再び、俺の元に集結してくれ。だが俺が領土を失い行方知れずになったら古郷に帰ってくれ。いつかまた俺が領土を手にしたら、その時は必ず再び集結してくれ。そんなことが今後、何度も起こるだろう。とにかく生き延びてくれ。そしてまた会おう。」全兵士が心に刻んだ。ここに敗けても死なない不死の軍が誕生した。浩作は大切な仲間を一人も死なせたくなかった。これからもずっと共にいたかった。陶謙は病気になり、これが最後と悟り浩作を呼んだ。「孫乾麋竺、浩作によく仕えよ。浩作よ。徐州を任せたぞ。」浩作は陶謙の最後を悟り「解りました。お任せください。ご安心ください。」と答えた。陶謙は微笑んで亡くなった。浩作は徐州の刺史となった。それを聞いた曹操「浩作を殺し、陶謙の死骸を切り刻んでやる。」と言い徐州を攻撃しようとしたが部下に止められた。浩作は張闓を攻め捕らえ、長期拷問をした。張闓は死んだ。曹操は兵糧に困っていたため、作物豊かな近隣地域を制圧、張角軍残党10万を制圧、その勢いで呂布に再戦、今度は2連勝、呂布は兵、3分の2を失い、陳宮と共に浩作を頼った。浩作はその頃、徐州城に住んでいた。小はい城を呂布に与えた。その後、李かく、郭し、その他、曹操らで、泥沼の乱戦になった。李かく、郭し、徐々に勢力を削がれ消滅していった。献帝は血みどろの世界の中、長安から廃墟、洛陽へ逃げた。そこで曹操と面会、曹操の根拠地、許昌へ行くことになった。長安から許昌へ遷都。献帝董卓、次に李かく、郭し、次に曹操、鬼畜の中、生き続けることになる。曹操は浩作に袁術討伐の偽の勅旨を出した。これは袁術と浩作を戦わせ、そのうちに呂布が徐州を獲り、袁術、浩作、呂布が乱戦してるうちに徐州を獲る、という荀彧の策略であった。浩作は全て見抜いていた。曹操曹操の軍師達の頭の悪さも。しかし浩作は袁術を攻めることにした。「全ては天が決めること。」浩作は3万で出陣、徐州は張飛太史慈に任せた。袁術は紀霊10万で出陣、激突、紀霊は副将、荀正を出す、関羽は1合で殺す、浩作はそれを機に総攻撃、紀霊10万は大敗。その頃、張飛は皆を集め、大宴会を催していた。だがただ一人、張飛は酒を飲まなかった。曹ほうという者がいた。呂布の先妻の父だった。張飛は曹ほうに酒をすすめた。曹ほう「私は禁酒しているので飲めません。」「そうか、では特別の果汁をどうぞ。」といって出した。曹ほうは密書を呂布に送った。「今、徐州は浩作が袁術討伐に出陣して張飛が守っている。この機に徐州城を獲られよ。でなくば一生後悔するだろう。」と。呂布陳宮は全軍を率いて徐州城を攻めた。張飛はその頃、おかしくなっていた。張飛は重度のアルコール依存症だった。不眠症になっていた。酒を突然、絶ったためビタミンB欠乏によるアルコール離断症状に襲われていた。心の中で、あの世だか宇宙だか解らぬ世界にいた。とても戦える状態ではなかった。曹ほうは城門を開ける、呂布軍がなだれ込む、太史慈は迷った。俺が指揮をとって呂布と戦うか、それとも皆を連れ急遽撤退し浩作の元へ皆で行くか、みんなを死なせる訳にはいかない。太史慈張飛を護りながら皆を連れ急いで城を出た。そして浩作の元へ向かった。浩作と合流した。張飛は弱弱しく無言で浩作を見た。別人の様であった。張飛は自決しようとした。浩作は止め、張飛を抱きしめた。「徐州は元々、俺が勝ち取った物ではない。陶謙殿からたまたまもらった物だ。元々俺の物じゃない。これでいいんだよ。皆が無事で良かった。太史慈ありがとう。」みんな泣いた。張飛は今度は死ぬのが怖くなった。それが3週間続いた。張飛は悟った。存在して消滅する、それだけのことだ。そこに恐怖を乗っけても苦しいだけで意味は無い。その後はうつが襲ってきた。体は動かなくなり、心は絶望し、ただ死を待つばかり、食事とトイレ以外、ただひたすら寝ることしかできなかった。1週間半したら少し心が楽になった。3週間寝倒したら心の苦しみは、やっと全て出ていってくれた。張飛は元気になった。そしてゼロからやり直した。別人と化した。前の張飛より、より強くなった。関羽より強くなった。人格のレベルも遥かに上がった。真の張飛が、ここに誕生した。浩作は呂布に会いに行った。浩作「貴公が徐州の刺史でよい。私に小はいをくれ。」呂布は承諾した。孫堅の子、孫策は優秀であった。袁術に仕えていた。ザコに袁術に仕えている己を嘆いた。伝国の玉璽と引き換えに3千の兵を手に入れた。一旗揚げた。親友、周瑜と再会した。揚州の刺史、劉繇を攻めた。兵力、数万、江東を平定。勢力を拡大。袁術は紀霊、数万で小はい、浩作を攻めた。浩作は呂布に援軍を要請、呂布は紀霊軍、浩作軍対峙する中、浩作と紀霊を招いた。150歩離れた所に呂布の矛、方天画戟を立てた。「俺が矢を方天画戟に当てたら両軍撤退せよ。」見事命中、両軍撤退。呂布は全軍をもって、小はいを攻撃、包囲、浩作軍は全力で包囲を突破。曹操を頼った。浩作軍は、ここに解散した。