小説 こうさく三国志 第2回

浩作は張飛を止めた。殺すのは簡単だ。しかしそれじゃあ物語にならない。このザコを生かしてやることにした。浩作軍は朱儁の元へ行くことにした。朱儁張角の弟、張宝9万と対峙していた。浩作軍は先陣きって突入する。張宝は副将高昇を出してきた。張飛が数合で高昇を馬から突き落とした。張宝はすさまじい勢いで9万を率いて向かってきた。浩作軍は撤退し朱儁と作戦会議をした。崖の上、両側に関羽張飛各1千を率い潜み、浩作は後退しながら戦った。関羽張飛は一斉に矢を射かけた。そして崖を一気に下り張宝を目指した。浩作、朱儁張宝を目指した。浩作が放った矢が張宝の左ひじに命中。張宝軍は陽城県に立てこもった。浩作軍は陽城県を包囲した。張宝の部下が張宝を殺し降伏してきた。張角は病死、弟、張梁皇甫嵩曹操に七度の曲陽群の激戦の上、討ち取られた。盧植皇甫嵩によって復職、かくして張角張宝張梁は浩作、盧植朱儁皇甫嵩曹操によって滅びた。すぐに韓忠が反乱を起こした。韓忠は苑城に立てこもった。浩作軍は城の西南を猛攻した。韓忠も全力で応戦した。朱儁は城の東北を猛攻した。そして苑城を包囲した。韓忠は降伏を申し出てきた。朱儁は「好き勝手に悪事を行い、まずくなれば降伏すればよい。」という連中が許せなかった。投降を認めなかった。西と北から浩作と朱儁で猛攻した。敵は東へ南へと敗走した。朱儁自ら韓忠を射殺した。そこへ反乱軍趙弘、孫仲が現れ苑城を奪い取られた。そこへ味方孫堅が1500率いて援軍に来た。朱儁孫堅を歓迎した。浩作、朱儁孫堅は一方だけ残し苑城を三方から猛攻した。孫堅は自ら最前線で戦い敵兵20人を倒し、趙弘を自ら討ち取った。孫仲軍は浩作軍とかち合った。浩作が放った矢は孫仲に命中した。孫仲は落馬した。孫仲は戦死した。勝敗は決した。盧植朱儁皇甫嵩曹操孫堅は高官に任官された。浩作以外。たまたま郎中の張釣の馬車が来たので事の次第を伝えた。張釣はびっくりして朝廷に報告した。浩作は中山府安喜県の県尉に、すなわち功績に見合わない小役人に任官された。浩作は浩作軍500名にできるだけ褒美を持たせ桜桑村に凱旋させた。たく県では浩作は伝説となった。数か月、三人は共に食事をとり、共に寝て修学旅行の様に楽しかった。そして安喜県の人々のために全力で尽くした。視察官、督郵が来た。浩作は出迎え、挨拶した。丁重に接した。督郵は無視した。督郵は浩作の県尉席に偉そうに座った。浩作は立って接した。督郵「県尉はどの様な経歴かな。」「私は幽州、たく県、桜桑村出身で反乱軍討伐の功績が認められ県尉に任官されました。」督郵「こいつ、でたらめを言いやがって。お前ごと小者が反乱軍討伐?笑わせる。」浩作「これは少ないですが、お受け取りください。」できうる限り高額の賄賂を渡した。次の日、張飛が役所の前を通ると50人くらいが騒いでいた。話を聞くと督郵が県の職員に浩作を激しく悪く書いた報告書を無理矢理書かせていると。張飛はゆっくり馬を降りた。そしてゆっくり役所に入っていった。門番は微笑んでいた。職員は暴行を受け倒れていた。張飛は無言で督郵の髪をつかみ広場まで引きずっていった。木に縛り付けた。殺す気で暴行を加えた。そこへ騒ぎを察し浩作、関羽が来た。浩作は張飛を止めた。関羽「あれだけの功績をたてたにも関わらずたかが県尉、しかもこのざま。兄上、桜桑村に帰り出直しましょう。」浩作、県尉官印を督郵の首にぶら下げ「元々こんなもんに興味はない。返すぜ。ゴミ野郎。」浩作は桜桑村に帰った。中山府安喜県では浩作は伝説となった。すぐに浩作の逮捕状が出た。浩作は関羽張飛、母を連れ、代州の高官の友人の元に身を潜めた。皇甫嵩朱儁も賄賂を渡さなかったため解任された。長沙では、おう星、漁陽では張挙、張純が反乱を起こした。孫堅が、おう星を討った。孫堅は長沙の太守、鳥程侯に任官された。幽州の牧、劉虞は張挙討伐に向かった。浩作は高官の友人の推薦状を持って劉虞に面会した。劉虞はとても喜んだ。浩作は都尉に任官された。早速、数日に渡り張挙軍相手に大暴れした。張純は性格が悪いので部下に殺され部下は張純の首を持って降伏してきた。張挙は自殺した。劉虞の報告により督郵の件は許され、下密県丞に任官、その後、高唐県尉に転任、さらに旧友、公孫瓚の報告により別部司馬、平原県令、事務取扱に転任。浩作はたく県、安喜県、下密県、高唐県、平原県でも人望を集めた。